結婚が上手くいかず、元夫からのモラハラ被害を受け、結果的に離婚をしましたが、その際に臨床心理士の方と何回もセッションを行いました。
成人してしばらく経つと、自分が育った環境とか、親や家族から受けてきた影響とか、あまり考えなくなりますが、実は人格形成にとても影響があるとのことでした。
自分の生い立ちや、行動のくせなどを紐解いていくうちに、どうも幼少期の養育環境などから、私は我慢してしまうクセが身についてしまったようでした。
母親から良く我慢しなさい、と言われていたのもあるし、実際に我慢しなければならない場合も多かった。母親には文句など言えない感じで、自分がとりあえず犠牲になって場を収めるというか。。。そういうのが染み付いてしまった。
確かに子供が我慢してくれたら親は楽ですよね。
母親がまためちゃくちゃ怖くて、とても逆らえない雰囲気だったんですよ。確かに私は母親の顔色を伺って生活していたし、それも当たり前だった。それから良く父親の愚痴を長女の私に聞かせていて、私はこれ以上お母さんを困らせたらいけない、無理言ったりしたらいけないし、お母さんに幸せになってほしい、幸せにしてあげなきゃって思っていたんですよね。
甘えた記憶はなくて、ただしっかりしなくちゃとか、考えてました。
母親が数年前に私に言った言葉の中に「自分の子供だと感じなかった」というのがあって、本当に時々発言に驚いてしまうのだけど、しっかりとした愛情や絆を感じなかったのも理解できるし、無理ないな、と改めて思う。
残念ながら暖かい、無条件の愛情は感じられなかった。そして子供の立場を取らせてもらえなかったのだと思う。
安心できる家庭環境の中で、伸び伸びと自我を育てられなかったのだと思う。子供らしく振る舞えなかったのだと思う。少しだけ、精神的な立場の逆転もあったと思います。いわゆる機能不全家族ですよね。
反抗期もなかったんですよ。
反抗期はとっても大切と聞いていたけど、私は反抗期という反抗期もなかった。母親もなかったと言う。なんで私は両親に反抗しなかったんだろう?
ずっと頭の片隅に不思議だなぁ、と思っていて、ついに離婚時の40代手前で謎が解けて。
反抗出来るだけの安心感を感じてなかった。根本的に自分に自信がなかった。そして母親も父親もかなり怖かったんですね。表面上は仲良く話します。冗談も言います。ただ私は気を使ってるかもしれない。怒らせないように…と。少し母親のことは可愛そうだと思っていたところもあります(父親に対する不満や姑との確執)。
やっと40代手前で、臨床心理士と色々紐解いた後で、母親と離婚のことで揉めたときに反抗らしい反抗ができました。
モラハラ被害で辛いと泣いて苦しみ、動悸や吐き気などの身体的症状も出ていて離婚をしたいと言う私に、母親は離婚に反対し、「親戚に何て言っていいか分からない、言えない…」と言う。
ああ、娘の健康や幸せよりも、自分の世間体なんだな、と思ってしまった。
そりゃあ愛情感じないよね。
とても悲しいけど、現実をみつめる。
昔みたいに人から認めてもらったり、愛情に期待しないようにしようと肝に銘じたから、現実を受け入れて、自分の道を進むしかないと思った。
(昔の世代と言うのもあると思うけど、世間体ばかり気にしていると、本当に幸せをつかみ逃すと思うよ。
自分の幸せというのもあるけど、家族や子供を失うかもしれないと思うよ。)
母親とはその後距離を取った。
反抗して距離を取り、母親の意見になびかなかったからか、少しずつだけど私にも理解を示してくれるようになった。きっと母親も色々考えたのだと思う。
親子共に、諦めが重要なのだと思う。
子供は親の思う通りには動かない。コントロールできない。一人の個人だから。
多くの親は中々その壁が超えられないのじゃないかと思う。
子供は親の所有物じゃないんだよね。。
そしてまた、親も完璧ではない。一人の人間だから。
成熟した、愛情いっぱいの親であって欲しいけど、現実は中々そうは行かないこともある。
私はその点が受け入れ辛かったんだけど。。。
未だに期待することもあるんだけど、一度は諦めたから、随分精神的に楽になったと思う。
話しがまた逸れてしまったんだけど、モラハラ被害と自分の養育環境はものすごく密接に関わっていたことが分かって、根本的な解決は、自分の養育環境を紐解き、足りないものを補い、自分を作り直していくことかな、って思ったよ。
我慢しすぎること、自分に対する自信のなさ、認めてもらいたい、愛されたいという欲求、顔色を伺うこと、人生に対して真面目すぎること、色々考え直す価値があるんだよね!
自分に対する自尊心や自信が持てると、あまり周りのことが気にならなくなる。自分に対する無意味なプレッシャーを持たずにすむ。
なるようにしかならない、と開き直れる。
自分を大切にできるようになる。
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