こんにちは
今日は心が回復していく過程で私に起こった、大冒険の始まりのことを書いてみようと思います。
(やっぱりモラハラ時代のこととか、母親とのことは書いてると心が重くなってしまって。心が疲れてしまうというか、力が流れ出てしまうというか…。明るく書こうと努めるのですが)
~ ~ ~ ~ ~ ~
離婚がなんとか成立し(このこともいつか書きたいと思っています)、母親との問題も受け入られ、乗り越えられるようになってきた3年ほど前、自分のこれからの人生のことを考えることも多くなっていました。
そして、なんと、何気なくつけていたテレビ番組が、その後の大冒険へのキッカケをくれました。
テレビ:「今日、死んでしまうとしたら、あなたは何を一番悔やみますか?」
私:…え??? 今日…??
私:・・・
考えたこともなかったです。
まさか、今日死ぬとは思ってません…
でも、でも…、
確かに、今日死んでしまうこともあるかもしれない。
交通事故だってあるし、病気だってあるかもしれない。
そこで、私は暫く考えました。
「私は何が一番悔やまれるだろう…?」
そして、出てきた答えが、
「あのシドニーに住んでいないことだ…」
でした。
私、すごくシドニーに住みたいと思っているのに、住めていない。
内心は、とっても住みたいって思っているのに
今日、今、死んじゃったら、シドニーに住めていないことが、一番悔やまれるわ。
って。。。
(幼少期に海外に住んでいたり、数年前にシドニーに住んでいたりで、いつかまた海外、特にシドニーに住めたらいいのになぁ。。。運よく住めたらいいのになぁ。。。って心の奥底で、他力本願で思っていました。←何も自ら行動していない)
あとは息子や家族などの大切な人に、その想いを伝えきれていないことも悔やまれる。
もっと伝えたい。
もっと楽しい時間を共有したい
と思いました。
あとは出来たら子供2人目欲しかったな~、と。
この質問、
「今日、死んでしまうとしたら、あなたは何を一番悔やみますか…?」
真剣に考えると、今、自分が本当にしたいことは何なのか?何を大切に思っているのか?、を考えさせてくれる、とっても良い質問ではないかと思います。
その後、私は自分の希望に優先順位をつけて、行動に移すことにしました。
- 私と息子が幸せに生活していること。
- シドニーに住むこと。
- 2人目を授かること。
この人生は一度きりだから、可能な範囲で、やれることはやろうって考え始めました。
まず、1番は絶対。1番なくして2番3番はない。そして2番と3番は考えに考えて、どちらが私にとってとっても重大なんだろうと…。年齢も30代後半だったので時間的な余裕はない。
そうして、私はオーストラリア、シドニーにどうしたら住めるのか、調べ始めました
心はドキドキ、ハラハラ、スリル満点。
調べてるときも、幸せな時間
良く言われることだけど、人生は旅だよねぇ
目的地よりも旅そのものを楽しむ
今この瞬間。
どこに辿り着くかはわからないけど
その過程を、味わい楽しむ
その過程こそが人生
その瞬間を楽しんでいたら、目的地が変わってもまったく問題がない
思い通りにいかないことや
失敗したりすることも普通にあるから^^
臨機応変に
人生を楽しめる
それでいい^^
心もすごく軽くなる
自分を幸せにしてあげられる
そしてこれをすると、より「今死んでしまっても大丈夫だよ」っていう精神状態に近付けるような気がする。(不思議な副作用だなぁと思う)
(死にたいとか、消えたい、という負の状態とは、また違う。)
自分の好きなことをしているから、させてあげているから、後悔の念、人生への執着、手放したくない感が薄れる。
満足感があるのだと思う。
「自分のしたいことをしている満足感」の力は相当強いと思う。
私はそうは言っても、息子が成人するまでは生きていたい。愛情いっぱい注いで、自己肯定感めちゃくちゃある子になって欲しいし、自分で稼げるまではサポートして、幸せな人生を送ってほしい!
(あとは、世の中の負の連鎖を減らす活動に少しでも貢献したいな、という希望があるけど)
そういう執着や希望はまだあるけど、全体的に心が穏やかになり、今、できる範囲でできることはしてるから、って安心できるのかな
と、今日は大冒険へのキッカケ、生への執着、死への抵抗が減ったキッカケを書いてみました。
最近この本を読んで、まさにそうだなぁと、人生の冒険や生死に関して感じたので、一応、貼らせて頂きます
英語だけど、ポルトガル語の翻訳なので、英語の表現が比較的難しくないなぁと思います。ぐいぐいお話しに引き込まれていきます。
日本語訳もあります。
この人生は一度きりだもんなぁ、って思います
読んでくださり、ありがとうございます
コメント